世界遺産ガイド | 世界遺産を知る・見る・聞く! https://worldheritage.travelxguide.com 世界遺産を知る・見る・聞く! Sat, 11 Jun 2016 04:59:03 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.2.4 リラ修道院 / Rila Monastery https://worldheritage.travelxguide.com/europe/bulgaria/rila-monastery.html Sat, 11 Jun 2016 04:56:03 +0000 http://worldheritage.travelxguide.com/?p=1552 リラ修道院はリラの聖ヨハネ修道院、またはリラの僧院とも言われ、ブルガリアで最も有名な正教会(ブルガリア正教会)の修道院です。リラ山脈の北西にあり、ブルガリアの首都ソフィアから約120キロメートルの距離に位置しています。

10世紀前半に創設されたリラ修道院は、ブルガリアで最重要文化・歴史遺跡で、建築学的にも非常に重要な遺跡の一つです。1983年にユネスコの世界遺産に登録されました。


Rila Monastery / kevinzim

ブルガリア国民の文化的・精神的中心としてのリラ修道院

リラ修道院は、当初、修道士のイワン・リルスキーが隠遁の場所として選んだリラ山中の洞窟近くにあったと考えられています。

以来、ブルガリアの統治者から大事にされ、オスマン征服まで続いた第二次ブルガリア帝国のほぼ全てのツァールによって大規模な寄付が行われました。

リラ修道院は、長らくブルガリア国民の文化的・精神的中心にあったと言われるほどの歴史的な場所です。

18世紀~19世紀の民族復興期の時代には、リラ修道院はブルガリア各地に約50か所の付属修道場を開設し、そこに修道士を派遣しで学校を開設させたり、修道院への巡礼者を集めたりしました。

1961年にリラ修道院はリラ修道院国立博物館に指定され、1976年に国立歴史保護区に、そして1983年にはユネスコの世界文化遺産リストに登録されました。

1991年にブルガリア政府がリラ修道院国立博物館を閉鎖した事から、リラ修道院は純粋な修道院へと戻っています。

現在のリラ修道院の姿は、概ね19世紀に完成したものですが、修道院で最も古い建造物は14世紀(1335年)に建築されたフレリョの塔です。

高さ24メートルの塔の最上階の5階には、主の変容礼拝堂があります。フレリョの塔は夏期のみ公開されています。

修道院には300の部屋があり、その内100が修道士の居住部屋となっています。1834年~1837年にかけて、それまで古い教会堂があった場所に、現在の生神女誕生教会が建設されました。

教会堂は5廊式の十字ドーム型で、両側に2つの礼拝堂があり、合計3つの祭壇があります。当時を代表するバンスコやサモコフの芸術家による木彫刻のイコノスタス(イコノスタシス)や壁画があります。

修道院経済部には、水車小屋、かまど、修道院の経済活動(林業、商業、農業他)で使用した工具や品物が保存されています。北棟の1階には修道院の台所があり、円錐形の大きな煙突や修道院のお祭り用の食事を作った大釜などが残されています。

北棟にある民族誌学博物館と民族復興期の客室には、織物、各地の伝統的な民族衣装、巡礼者が寄進した伝統的な容器類などが展示されています。

Rila Monastery
Rila Monastery / cyberborean
Rila Monastery
Rila Monastery / macchi
Rila Monastery
Rila Monastery / macchi
rila monastery
rila monastery / beccapie
Bulgaria-03045 - Back to the Monastery
Bulgaria-03045 – Back to the Monastery / archer10 (Dennis) (75M Views)
名称 / 英語名
リラ修道院 / Rila Monastery
種別
文化遺産
登録基準
(6) 顕著で普遍的な意義を有する出来事、現存する伝統、思想、信仰または芸術的、文学的作品と、直接にまたは明白に関連するもの(この基準は他の基準と組み合わせて用いるのが望ましいと世界遺産委員会は考えている)。
登録基準とは
登録年
1983年
公式サイト
ユネスコ / UNESCO 公式サイト内の Rila Monastery ページ

リラ修道院の詳細地図

最新!リラ修道院旅行写真ギャラリー

20, ‘type’ => ‘public’, ‘tags’ => ‘Rila,Monastery’)); ?>

リラ修道院 の口コミ

]]>
Ivanovo イヴァノヴォの岩窟教会群 / Rock-Hewn Churches of Ivanovo https://worldheritage.travelxguide.com/europe/bulgaria/ivanovo.html Sat, 12 Dec 2015 03:18:36 +0000 http://worldheritage.travelxguide.com/?p=1546 イヴァノヴォの岩窟教会群は、ルセ市の南約22キロ離れたイヴァノヴォ村の近辺に、岩を刳り貫いて作られた聖堂、修道院などの建造物群です。


Ивановски скални църкви / Klearchos Kapoutsis

イヴァノヴォの岩窟教会群の解説・紹介

イヴァノヴォの岩窟教会群は、ルセンスキ・ロム川沿いにそびえる岩だらけの堤にあります。

12世紀から修道士たちが住むようになり、13世紀から14世紀を最盛期に、17世紀ごろまで修道士たちが住んでいました。

岩窟教会群は、硬い岩から僧房、教会群、礼拝堂などが切り出されたものです。修道院建造物群は約40を数え、周囲には約300ほどの宗教施設用地がありました。

その後、オスマントルコの侵攻により修道院は放棄され洞窟は荒廃しましたが、今も岩窟内の壁面には、保存状態の良い美しい中世のフレスコ画が残されています。

これらのフレスコ画は13世紀から14世紀にかけて描かれたもので、「ユダの裏切り」や「ミルラを捧げる女性たち」などが、教会群の内の6つの教会洞窟の壁に保存されています。

これらのフレスコ画は中世ブルガリア美術の傑作として高く評価されており、1979年にユネスコ世界遺産登録の理由の一つとなりました。

Ivanovo
Ivanovo / Klearchos Kapoutsis

Ивановски скални църкви / Klearchos Kapoutsis

Ивановски скални църкви / Klearchos Kapoutsis

Ивановски скални църкви / Klearchos Kapoutsis
名称 / 英語名
イヴァノヴォの岩窟教会群 / Rock-Hewn Churches of Ivanovo
種別
文化遺産
登録基準
(2) ある期間を通じてまたはある文化圏において建築、技術、記念碑的芸術、都市計画、景観デザインの発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの。
(3) 現存するまたは消滅した文化的伝統または文明の、唯一のまたは少なくとも稀な証拠。
登録基準とは
登録年
1979年
公式サイト
ユネスコ / UNESCO 公式サイト内の Rock-Hewn Churches of Ivanovo ページ

「イヴァノヴォの岩窟教会群」動画ファイル

イヴァノヴォの岩窟教会群の詳細地図

お勧め参考書籍

最新!イヴァノヴォの岩窟教会群旅行写真ギャラリー

20, ‘type’ => ‘public’, ‘tags’ => ‘Churches,Ivanovo’)); ?>

イヴァノヴォの岩窟教会群の口コミ

]]>
カザンラクのトラキア人の墳墓 / Thracian Tomb of Kazanlak https://worldheritage.travelxguide.com/europe/bulgaria/thracian-tomb-kazanlak.html Sun, 01 Nov 2015 04:41:29 +0000 http://worldheritage.travelxguide.com/?p=1542 カザンラクのトラキア人の墳墓は、ブルガリア中部の町、カザンラク近郊にある煉瓦造りの丸天井型のカタコンベ(地下墳墓)です。

そこは、バルカン半島の先住民族である古代トラキア人の首都だったセウトポリス近郊の場所で、トラキア人の王家の墳墓が数多く発見されています。

中でも、カザンラクのトラキア人の墳墓は、最も保存状態のいい壁画をもつ古代墳墓です。

第2次世界大戦中の1944年に、防空壕を作成していた兵士によって発見されました。1979年に世界遺産として登録されました。


IMG_1195 / Athena Lao

カザンラクのトラキア人の墳墓の解説・紹介

カザンラクのトラキア人の墳墓は、墓地は紀元前4世紀にまで遡るもので、古代トラキアのオドリサ族の王セヴトス三世の家臣のために建てられたとされています。

墳墓は、大規模なトラキア人共同墓地の一部をなしており、狭い回廊と丸い埋葬室が特徴的で、煉瓦や石でできています。墳墓の床は、細かくボンペイ赤色のしっくいが塗られています。

そして、回廊や埋葬室は、2000年以上前に描かれた壁画で装飾されています。トラキア人の生前の戦闘の場面や、トラキア人夫婦がお互いの手首をつかみ、告別の身振りをしている様子、あるいは死へ旅立ちをするにあたり、楽器演奏やご馳走という華やかな宴で送られた様子などが描かれています。

これら非常に精密に描かれた壁画は、ギリシャ文化の影響を受けたヘレニズム時代のブルガリア美術を最良の保存状態で残されている傑作です。


Kazanlak’s tomb protective structure / Klearchos Kapoutsis

Thracian Tomb of Kazanlak / KLMircea

Thracian Tomb of Kazanlak / KLMircea
The tomb of Kazanlak
The tomb of Kazanlak / Klearchos Kapoutsis
名称 / 英語名
カザンラクのトラキア人の墳墓 / Thracian Tomb of Kazanlak
種別
文化遺産
登録基準
(1) 人類の創造的才能を表現する傑作。
(3) 現存するまたは消滅した文化的伝統または文明の、唯一のまたは少なくとも稀な証拠。
(4) 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。
登録基準とは
登録年
1979年
公式サイト
ユネスコ / UNESCO 公式サイト内の Thracian Tomb of Kazanlak ページ

「カザンラクのトラキア人の墳墓」関連動画ファイル

カザンラクのトラキア人の墳墓の詳細地図

お勧め参考書籍

最新!カザンラクのトラキア人の墳墓旅行写真ギャラリー

20, ‘type’ => ‘public’, ‘tags’ => ‘Thracian,Kazanlak’)); ?>

カザンラクのトラキア人の墳墓の口コミ

]]>
マダラの騎士像 / Madara Rider https://worldheritage.travelxguide.com/europe/bulgaria/madara-rider.html Sun, 18 Oct 2015 06:41:21 +0000 http://worldheritage.travelxguide.com/?p=1536 Madara Rider
Madara Rider / Klearchos Kapoutsis

ブルガリア北東部シュメン州のシュメンの東にあるマダラ高原。そこに高さが100メートルにも及ぶ岩山がそそり立っています。その中腹に「マダラの騎士像」と呼ばれる巨大な浮き彫り=レリーフが彫まれています。

マダラの騎士像の解説・紹介

断崖に刻まれたレリーフは、縦2.5メートル、横3メートルという巨大なものです。騎士は、左手で手綱を握りしめており、右手の槍で馬の足元に横たわるライオンを突き刺している姿が描かれています。

騎士の前には鷲が飛び、後ろには犬が付き従っています。この情景は、戦勝を象徴的な形で描いたものと見なされています。

騎士像の周りには、中世のギリシャ語で3つの断片的な碑文が記されています。 ブルガリアの古典学者は、3つの碑文の内、最古の碑文は当時の王・テルヴェル(在位695年~721年)のもので、騎士像もその頃に描かれたものだ推測しています。

残る2つの碑文は、その後のハーンのクルム(在位796年~813年頃)とオムルタグ(在位814年~831年)に関わるもので、在位の順に刻まれたのだろうとしています。

テルヴェルは、内紛で窮地に陥っていた隣国ビザンツ帝国に軍を率いて乗り込み、ビザンツ皇帝の敵を追い払うことに成功。その見返りに、皇帝からバルカン山脈南部の支配権を獲得し、ブルガリアの領土を拡大した第一次ブルガリア帝国の伝説的な王です。

今日、刻まれた騎士は、伝説的な王・テルヴェルとする説をはじめ、古代トラキア人に結び付けてトラキア人の神を描いたとする説や、聖ゲオルギウスを描いたものだとする説などが立てられています。

そして何よりも、断崖の中腹、地上23メートルの高さに、どのようにしてレリーフが刻まれたのか? その製作方法は未だ解明されていません。

なお、マダラの騎士像は、現在のブルガリアで最高の栄誉とされる勲章にも描かれており、ブルガリア人にとって重要なシンボルとなっています。

Madara Rider
Madara Rider / Klearchos Kapoutsis

「マダラの騎士像」関連動画ファイル

名称 / 英語名
マダラの騎士像 / Madara Rider
種別
文化遺産
登録基準
(1) 人類の創造的才能を表現する傑作。
(3) 現存するまたは消滅した文化的伝統または文明の、唯一のまたは少なくとも稀な証拠。
(4) 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。
登録年
1997年
公式サイト
ユネスコ / UNESCO 公式サイト内の Madara Rider ページ

マダラの騎士像の詳細地図

お勧め参考書籍

最新!マダラの騎士像旅行写真ギャラリー

20, ‘type’ => ‘public’, ‘tags’ => ‘Madara,Rider’)); ?>

マダラの騎士像 旅行記ブログ – リンク集

]]>
ボヤナ教会 / Boyana Church https://worldheritage.travelxguide.com/europe/bulgaria/boyana-church.html Sat, 19 Sep 2015 00:24:04 +0000 http://worldheritage.travelxguide.com/?p=1532 Boyana Church
Boyana Church / Aleksander Dragnes

ボヤナ教会(Boyana Church)は、ブルガリアの首都ソフィアの南西郊外、ヴィトシャ山麓ィトシャ山麓に建つブルガリア正教会の教会堂です。ソフィアの中心部からは約8kmほどの距離にあります。

ボヤナ教会は、時代が異なる3つの聖堂が調和する教会です。そして、中央棟の内部一面には、フレスコ壁画がぎっしりと描かれていることで知られています。

1979年に世界遺産に登録されています。

ボヤナ教会の解説・紹介

ボヤナ教会の東翼は、元々10世紀後半ないし11世紀初頭に貴族が私的な礼拝所として建てたものです。

1259年には、第二次ブルガリア帝国の元で、中央棟が増築されました。

その後、時代が下ってオスマン帝国支配の末期の1845年に西翼が拡張され、3つめの聖堂が左側に増築されました。

ボヤナ教会は。11世紀、13世紀、19世紀と、3つの異なる時期に建設された聖堂からなります。それぞれの時代の姿をとどめながら、時間を超越して美しい調和を保っています。

ボヤナ教会の聖パンティレイモン聖堂の内部一面に描かれたフレスコ壁画

ボヤナ教会で特に注目すべき特徴は、中央棟の内部に描かれたフレスコ壁画です。

1259年に中央棟を増築した貴族のカロヤン伯爵は、中央棟の聖パンティレイモン聖堂の内部一面にフレスコ壁画をぎっしりと描かせました。

キリスト、そして教会の守護聖者の一人である聖ニコラの生涯の18の場面、あるいは聖イヅァン・リルスキーの最占の肖像など、聖人たちが、それぞれ異なった個性を持って描かれています。

内面や生命力を伴って、実に写実的に生き生きと描かれているのです。

これら総数240枚にも及ぶフレスコ壁画は、当時のブルガリア中世美術の高水準を物語っています。

壁画の中には、カロヤン夫妻の肖像画もあります。髪を冠で隠す着こなしや服の紋様など、夫妻が当時のヨーロッパの最新モードを身につけていることが分かります。

この肖像画は、歴史人物の肖像画でブルガリア最古のものとされおり、当時の文化風習が分かる貴重な資料となっています。

これらのフレスコ壁画は、当時の無名のフレスコ画家たちの手によるものですが、後に大きな影響を与えることになりました。

当時、主流だった表情に乏しいビザンツ様式を大胆に打ち破り、イタリアでルネサンスの勃興する以前に、生き生きとした自由な息吹を、東ヨーロッパの片隅で先取りしていたのです。

しかし世界的に有名になる上で重要な役割を果たしたのは1259年前後に活躍した無名の画家たちでした。

教会のお土産店では、絵葉書、本、CD、DVD、お土産、ボヤナ教会などの名所を紹介したパンフレットが販売されています。なお、教会内での撮影は禁止です。

Sofia - Boyana Church Apse
Sofia – Boyana Church Apse / vintagedept
Sofia - Boyana Church Ceiling
Sofia – Boyana Church Ceiling / vintagedept
Sofia - Boyana Church St Nicholas Fresco
Sofia – Boyana Church St Nicholas Fresco / vintagedept
名称 / 英語名
ボヤナ教会 / Boyana Church
種別
文化遺産
登録基準
(2) ある期間を通じてまたはある文化圏において建築、技術、記念碑的芸術、都市計画、景観デザインの発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの。
(3) 現存するまたは消滅した文化的伝統または文明の、唯一のまたは少なくとも稀な証拠。
登録基準とは
登録年
1979年
公式サイト
ユネスコ / UNESCO 公式サイト内の Boyana Church ページ

ボヤナ教会の詳細地図

お勧め参考書籍

最新!ボヤナ教会の写真ギャラリー

20, ‘type’ => ‘public’, ‘tags’ => ‘Boyana,Church’)); ?>

ボヤナ教会 旅行記ブログ – リンク集

]]>
ネースヴィジにあるラジヴィウ家の建築的・居住的・文化的複合体 / Architectural, Residential and Cultural Complex of the Radziwill Family at Nesvizh https://worldheritage.travelxguide.com/europe/belarus/nesvizh.html Sun, 06 Sep 2015 11:18:50 +0000 http://worldheritage.travelxguide.com/?p=1523 Nesvizh Castle 3
Nesvizh Castle 3 / Alexxx1979

ネスヴィジのラジヴィール家の建築、住居、文化的複合体は、、ベラルーシのネスヴィジ(Nesvizh)にあるラジヴィーウ家の居城として建てられた城郭建築です。

16世紀から1939年まで存続したラジヴィール王朝は、ヨーロッパの歴史と文化において重要な役割を果たした王朝です。

ネースヴィジは、この王朝の文化が集まった都市で、特に科学や芸術、工芸、建築の分野でヨーロッパに大きな影響力を持ちました。

ネースヴィジにあるラジヴィウ家の建築的・居住的・文化的複合体の解説・紹介

遺構は、居住用の城館やキリストの聖体を祀る聖体教会教会とその周辺地域から成ります。

城館は10の建造物で構成され、それぞれが内部で結ばれて全体が一つの建物として6面の中庭を取り囲むように設計されています。

1587年から1603年に建てられたキリスト聖体教会(Corpus Christi Church)は、イタリア人建築家ジャン・マリーア・ベルナルドーニ(Gian Maria Bernardoni, 1541年-1605年)が手がけたもので、バロック様式のファサードを備えたドーム型天井を持つ世界初のバシリカ式聖堂、そして東ヨーロッパにバロック様式建築が持ちこまれた最初の例です。

この城館と教会は、中欧とロシア全域における建築の原型にもなりました。

1770年代に、城はロシア軍に略奪され、ラジヴィウ家は追い出され、さらに その後、元の持ち主からもロシア軍からも見捨てられました。

しかし、ラジヴィウ家の手に再び渡り、内装の復元作業が行われました。イギリス流の風景式庭園もデザインされ、今日でもその種の庭園のなかでヨーロッパ最大級の庭園となっています。

Nesvizh Castle 2
Nesvizh Castle 2 / Alexxx1979
Nesvizh castle court
Nesvizh castle court / clagnar
Nesvizh Castle 5
Nesvizh Castle 5 / Alexxx1979
名称 / 英語名
ネスヴィジにあるラジヴィウ家の建築的・居住的・文化的複合体 / Architectural, Residential and Cultural Complex of the Radziwill Family at Nesvizh
種別
文化遺産
登録基準
(2) ある期間を通じてまたはある文化圏において建築、技術、記念碑的芸術、都市計画、景観デザインの発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの。
(4) 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。
(6) 顕著で普遍的な意義を有する出来事、現存する伝統、思想、信仰または芸術的、文学的作品と、直接にまたは明白に関連するもの(この基準は他の基準と組み合わせて用いるのが望ましいと世界遺産委員会は考えている)。
登録基準とは
登録年
2005年
公式サイト
ユネスコ / UNESCO 公式サイト内の Architectural, Residential and Cultural Complex of the Radziwill Family at Nesvizh ページ

ネスヴィジにあるラジヴィウ家の建築的・居住的・文化的複合体の詳細地図

お勧め参考書籍

最新!ネスヴィジにあるラジヴィウ家の建築的・居住的・文化的複合体旅行写真ギャラリー

20, ‘type’ => ‘public’, ‘tags’ => ‘ Nesvizh’)); ?>

ネスヴィジにあるラジヴィウ家の建築的・居住的・文化的複合体 旅行記ブログ – リンク集

]]>
ミール地方の城と関連建物群 / Mir Castle Complex https://worldheritage.travelxguide.com/europe/belarus/mir-castle-complex.html Sat, 22 Aug 2015 07:50:13 +0000 http://worldheritage.travelxguide.com/?p=1516 Mir Castle Complex 15
Mir Castle Complex 15 / Alexxx1979

ミール地方の城と関連建物群の解説・紹介

ミール地方の城と関連建物群は、ベラルーシのフロドナ州カレリーチに位置しています。

15世紀末から16世紀初めにかけて、ミール村付近にゴシック様式の城として建設された後、1568年に城はリトアニア大公国の大貴族であるラジヴィウ家の手に渡り、ルネサンス様式の城として完成しました。

そのため、正方形の敷地に5つの塔があり、宮殿と東塔はルネサンス様式、それ以外はゴシック様式となっています。

その後、城は放棄され、更にナポレオン戦争で損傷を受けましたが、1812年に修復・再建されました。 第二次世界大戦中は、ドイツ軍に接収されゲットーとして使用されました。

1938年に城主だったニコライ・ミール公が亡くなった後は、国が管理する文化財となり、現在は博物館として利用されています。

このようにミール地方の城と関連建物群は、歴史・時代の変遷を例証する建造物となっています。

Mir Castle - typical Belarussian new built castle on historic ground
Mir Castle – typical Belarussian new built castle on historic ground / ritzotencate
Mir Castle Complex 17
Mir Castle Complex 17 / Alexxx1979
Mir Castle
Mir Castle / gudmd.haralds
名称 / 英語名
ミール地方の城と関連建物群 / Mir Castle Complex
種別
文化遺産
登録基準
(2) ある期間を通じてまたはある文化圏において建築、技術、記念碑的芸術、都市計画、景観デザインの発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの。
(4) 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。
登録基準とは
登録年
2000年
公式サイト
ユネスコ / UNESCO 公式サイト内の Mir Castle Complex ページ

ミール地方の城と関連建物群の詳細地図

お勧め参考書籍

最新!ミール地方の城と関連建物群旅行写真ギャラリー

20, ‘type’ => ‘public’, ‘tags’ => ‘Mir,Castle’)); ?>

ミール地方の城と関連建物群 旅行記ブログ – リンク集

]]>
ワロン地方の主要鉱山遺跡群 / Major Mining Sites of Wallonia https://worldheritage.travelxguide.com/europe/belgique/major-mining-sites-of-wallonia.html Sun, 16 Aug 2015 11:46:54 +0000 http://worldheritage.travelxguide.com/?p=1505 Le Grand Hornu
Le Grand Hornu / Amanda N Sherrington

ベルギー南部のフランス語圏ワロン地方には、良質な石炭鉱があり、19世紀から20世紀初頭にかけて盛んに石炭が採掘されました。

2012年に、ヨーロッパ大陸での産業革命を象徴する最古の例の一つとして世界遺産に登録されました。

というのも、採掘された石炭は、イギリスに次いで産業革命を達成する原動力となり、その後の鉄鋼産業の発展とともに、欧州の近代社会や経済が形成される上で重要な役割を果たしましたのです。

現在の欧州連合、EUの基礎となったのは、実は欧州石炭鉄鋼共同体(1950年)ということからも、その重要性が分かります。

ワロン地方の主要鉱山遺跡群の解説・紹介

ワロンには数百の炭鉱がありますが、2012年に世界遺産に登録されたのは、保存状態が良く、歴史的価値のある4つの炭鉱跡です。

ベルギー南部ワロン地方を西から東に横断する、東西170キロメートル、幅3~15キロメートルの細長いエリアに位置しています。

  • グラン・オルニュ
  • カジエの森
  • ボワ・デュ・ルック
  • ブレニー・ミーヌ

当時、最先端のデザインを持つ、居住性の高い社宅を用意して、労働者を確保しようとしました。

これらの炭鉱跡は、地上と地下の両方の炭鉱産業に関する多くの技術的な遺構を含んでおり、炭鉱関連の産業建築、労働者寮など炭鉱の町における都市計画の有様を伝えています。

炭鉱跡の内部はよく保存されており、見学することができます。

中でもエノー州のモンス市郊外に位置するグラン・オルニュは、1810年に建られた大規模な炭坑複合施設です。当時の流行だったネオクラシック様式の流麗な建築物--炭鉱、附属工場、労働者と経営者の住宅約440戸、公園、学校、アーケードなどからなり、“ひとつの都市”を形づくっていました。現代美術館のMAC’sを併設しています。

1838年から1909年に建てられた建築物、ボワ・デュ・ルックはヨーロッパでも非常に古い炭鉱で、その歴史は17世紀まで遡ることができます。

また、シャルロワ近郊の「カジエの森」のパヴィリオンには、現在はフランス料理レストランも併設されています。

これらの炭鉱跡は、産業と日常の暮らしが一体化した理想的な産業都市を具現しようとしたユートピア的な趣を持っています。


MAC’s – Musée des Arts Contemporains, Site du Grand-Hornu / ines s.
Grand Hornu mine complex
Grand Hornu mine complex / LHOON
Belgique 2011 002
Belgique 2011 002 / stephane333
名称 / 英語名
ワロン地方の主要鉱山遺跡群 / Major Mining Sites of Wallonia
種別
文化遺産
登録基準
(2) ある期間を通じてまたはある文化圏において建築、技術、記念碑的芸術、都市計画、景観デザインの発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの。
(4) 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。
登録基準とは
登録年
2012年
公式サイト
ユネスコ / UNESCO 公式サイト内の Major Mining Sites of Wallonia ページ

ワロン地方の主要鉱山遺跡群の詳細地図

お勧め参考書籍

最新!ワロン地方の主要鉱山遺跡群旅行写真ギャラリー

20, ‘type’ => ‘public’, ‘tags’ => ‘Mining,Wallonia’)); ?>

ワロン地方の主要鉱山遺跡群 旅行記ブログ – リンク集

]]>
ストックレー邸 / Stoclet House https://worldheritage.travelxguide.com/europe/belgique/stoclet-house.html Sat, 25 Jul 2015 11:36:25 +0000 http://worldheritage.travelxguide.com/?p=1500 Maison Stoclet
Maison Stoclet / belgianchocolate

ストックレー邸(Le palais Stoclet)は、ウィーンの建築家ヨーゼフ・ホフマン(1870~1956年)によって、1905~1911年に作られたモダニズム建築の傑作です。

ブリュッセルのテルヴュラン通り279/281番地(le 279/281 avenue de Tervueren)にある邸宅で、2009年6月の世界遺産委員会で、ユネスコの世界遺産リストに登録されました。

アールデコの先駆けとなったストックレー邸の解説・紹介

ストックレー邸は、1903年~1904年ごろにベルギーの金融業者アドルフ・ストックレー(Adolphe Stoclet)の私邸とするために、オーストリアの建築家ヨーゼフ・ホフマンによって考案されました。実際の建築は1905年から1911年にかけて行われました。

20世紀初頭のヨーロッパは、アールヌーボー興隆期で、ベルギーの首都ブリュッセルは、アールヌーボー建築の宝庫として有名です。

そうした曲線を多用する装飾的なアールヌーボーが溢れる中、ストックレー邸は直線的な造形デザインの革新的なもの。1920年頃から流行したアールデコの先駆けとなりました。

外観は大理石張りの外壁で、隅が青銅で縁どりされており,幾何学的明快さを備えています。

邸宅は、内装・外装、家具・日用品、庭園などを不可分のものと捉える総合芸術 (Gesamtkunstwerk) を体現しており、照明や子供の玩具、扉の取手や植木鉢に至るまで考え抜かれたデザインが行われました。

内装はグスタフ・クリムトとフェルナン・クノップフが手がけています。特に食堂に描かれたグスタフ・クリムトの素描に基づいたモザイク画は非常に有名です。

1976年に史跡となったこの邸宅は、アドルフ・ストックレーの義理の娘アニー・ストックレー(Anny Stoclet)が亡くなる2002年まで住んでいました。

現在、内部の一般公開はされていませんが、外観のみでも見る価値はある建物です。

Garage et pergola du palais Stoclet
Garage et pergola du palais Stoclet / Flikkersteph -3,000,000 views ,thank you!
名称 / 英語名
ストックレー邸 / Stoclet House
種別
文化遺産
登録基準
(1) 人類の創造的才能を表現する傑作。
(2) ある期間を通じてまたはある文化圏において建築、技術、記念碑的芸術、都市計画、景観デザインの発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの。
登録基準とは
登録年
2009年
公式サイト
ユネスコ / UNESCO 公式サイト内の Le palais Stoclet ページ

ストックレー邸の詳細地図

お勧め参考書籍

最新!ストックレー邸旅行写真ギャラリー

20, ‘type’ => ‘public’, ‘tags’ => ‘Stoclet,House’)); ?>

ストックレー邸 旅行記ブログ – リンク集

]]>
プランタン・モレトゥス印刷博物館 / Plantin-Moretus House-Workshops-Museum Complex https://worldheritage.travelxguide.com/europe/belgique/plantin-moretus-museum.html Sat, 20 Jun 2015 03:57:24 +0000 http://worldheritage.travelxguide.com/?p=1494 16世紀の大印刷業者・出版人だったクリストフ・プランタンの邸宅・工房を元にした印刷 […]]]> 「プランタン・モレトゥス印刷博物館複合体」は、ベルギーのフランダース地方の代表的な都市・アントワープ(アントウェルペン)にあります。

> 16世紀の大印刷業者・出版人だったクリストフ・プランタンの邸宅・工房を元にした印刷博物館です。

Plantin Moretus 1461
Plantin Moretus 1461 / CucombreLibre

プランタン・モレトゥス印刷博物館の解説・紹介

アントワープでは、12~13世紀ごろ市民階級が力を持ち始め、16世紀には文化人が集う場となっていました。

そんな中、クリストフ・プランタンは1555年に印刷工房を建て、「良家に生まれた娘の教育について」を刊行。

続いて多色刷りの銅版画を刊行し、その精巧さからプランタンとアントワープの町はヨーロッパ中に轟きました。

当時、アントウェルペンはヴェネツィア、パリ、リヨンとともに中世ヨーロッパの三大印刷都市と呼ばれたほどです。

クリストフ・プランタンの死後も、プランタンの印刷工房は娘婿のヤン・モレトゥスとその子孫たちが引き継がれ、植物図鑑や動物図鑑など高品質な本を刊行。

1876年に至るまで約300年余り、出版事業を継続しました。

現在は博物館として保存されています。現存するものとしては世界最古となる印刷機2台をはじめ、当時の印刷用活字一式など、16世紀当時の印刷技術を伝える設備が保有されています。

職・住が一体となった建築物自体、近世・近代の生活と労働の関係性を物語る貴重なものです。

また、『ビブリア・ポリュグロッタ』(多言語版聖書)をはじめ、プランタンが手がけた出版物の数々や三十六行聖書といった稀覯書を含む25000巻以上の蔵書、当時の会計記録や知識人たちとの往復書簡といった貴重な古文書類も多数収蔵されています。

Plantin-Moretus Museum
Plantin-Moretus Museum / debs-eye
Plantin Moretus 1362
Plantin Moretus 1362 / CucombreLibre
somewhere was written
somewhere was written / xiffy
Plantin Moretus 1496
Plantin Moretus 1496 / CucombreLibre
Plantin Moretus 1474
Plantin Moretus 1474 / CucombreLibre
The original Garamond typeface punches
The original Garamond typeface punches / Peb a
名称 / 英語名
プランタン・モレトゥス印刷博物館 / Plantin-Moretus House-Workshops-Museum Complex
種別
文化遺産
登録基準
(2) ある期間を通じてまたはある文化圏において建築、技術、記念碑的芸術、都市計画、景観デザインの発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの。
(3) 現存するまたは消滅した文化的伝統または文明の、唯一のまたは少なくとも稀な証拠。
(4) 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。
(6) 顕著で普遍的な意義を有する出来事、現存する伝統、思想、信仰または芸術的、文学的作品と、直接にまたは明白に関連するもの(この基準は他の基準と組み合わせて用いるのが望ましいと世界遺産委員会は考えている)。
登録基準とは
登録年
2005年
公式サイト
ユネスコ / UNESCO 公式サイト内の Plantin-Moretus House-Workshops-Museum Complex ページ

プランタン・モレトゥス印刷博物館の詳細地図

お勧め参考書籍

最新!プランタン・モレトゥス印刷博物館旅行写真ギャラリー

20, ‘type’ => ‘public’, ‘tags’ => ‘Plantin,Moretus,Museum’)); ?>

プランタン・モレトゥス印刷博物館 旅行記ブログ – リンク集

]]>