キュレネ(キレーネ)の考古学遺跡の解説・紹介
キュレネ(日本語では、クーリナやキレーネとも表記)は、リビア東部の沿岸部にある古代ギリシアの都市遺跡です。もともと紀元前7世紀にギリシャ人が北部アフリカに移住した際、ギリシャ風の様式や文化を取り入れて建設されました。当時の都市建設の様子は、ヘロドトスの『歴史』の第4巻に詳しく記されています。
都市建設後、キュレネはエジプトとカルタゴの間にあるリビア地方の中心都市として全ギリシャ都市との交易で非常に栄え、紀元前5世紀に最盛期を迎えています。現在、リビア東部地方を「キレナイカ / Cyrenaica」と呼ぶのは、その名残りです。
ちなみに、キュレネは地球の大きさを初めて測定したギリシャ人エラトステネスが生まれた都市です。また、カリマコス、カルネアデス、アリスティッポス、キュレネのアレテなど「キュレネ学派」と呼ばれる一連の哲学者ともゆかりのあるところです。
しかし、その後、キュレネは次第に没落していき、後にはローマ帝国の支配下に入ります。4世紀の大地震では壊滅的とも言える被害を受けてました。その後、町は再建されましたが、7世紀半ばにはアラブ・イスラム軍の侵攻で壊滅。その後、都市は長らく砂の中に埋没していましたが、18世紀初頭に発見され、一躍有名になりました。
遺跡からは、もともと紀元前7世紀に建造されたキュレネ最古といわれるアポロンの神殿をはじめ、デメテルの神殿やゼウスの神殿(1978年夏にカダフィによって損傷)、アゴラ(広場)、劇場、公衆浴場などが発掘されています。現存する遺跡の多くは、ローマの植民都市となった時代にローマ建築として再建されたものです。
また、キュレネとかつてのアポロニア港の間には、およそ10kmにも及ぶ、巨大なネクロポリス(共同墓地)もあります。 ローマ都市として再建されたギリシャ都市の優れた遺跡として、ユネスコの世界遺産に登録されました。
- 名称 / 英語名
- キュレネ(キレーネ)の考古学遺跡 / Archaeological Site of Cyrene
- 種別
- 文化遺産
- 登録基準
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(2) ある期間を通じてまたはある文化圏において建築、技術、記念碑的芸術、都市計画、景観デザインの発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの。
(3) 現存するまたは消滅した文化的伝統または文明の、唯一のまたは少なくとも稀な証拠。
(6) 顕著で普遍的な意義を有する出来事、現存する伝統、思想、信仰または芸術的、文学的作品と、直接にまたは明白に関連するもの(この基準は他の基準と組み合わせて用いるのが望ましいと世界遺産委員会は考えている)。
登録基準とは? - 登録年
- 1982年
- 公式オフィシャル・サイト
- ユネスコ / UNESCO 公式サイト内の Archaeological Site of Cyrene ページ
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