古都ホイアンの解説・紹介
ホイアンは、ベトナム中部ダナンから南に約30キロ、トゥボン川の河口にある古い港町です。その歴史はチャンパ王国時代にまでさかのぼり、16世紀にチャンパが南に後退し、フエに広南阮氏政権が樹立されると、ポルトガル人、オランダ人、中国人、日本人が来航して国際貿易港として繁栄しました。
1601年に広南阮氏が徳川家康に書簡を送って正式な国交を求め、江戸幕府との取り引きが急速に拡大。ホイアンには大規模な日本人街や中国人街が形成されました。
そのため、江戸時代の日本人の墓や「日本橋」の別名を持つ屋根付きのカウライヴィエン橋、あるいは当時は日本人町があったとされ、交易の証とも言える伊万里焼の磁器も発見されています。
1770年代には西山(タイソン)党の乱によって町は完全に破壊されましたが、やがて再建されて19世紀まで繁栄しました。 現在のホイアンの町並みは、18世紀後半以降のもので、多様な文化が混じった町並みが、当時の繁栄ぶりを今に伝えています。

Old Town, Hoi An / namho

Hoi An, Japanese covered bridge / Arian Zwegers

Hoi An Ancient Town / David McKelvey

Hoi An Waterfront at Night / Zimmelino

Hoi An Fairy Tale Atmosphere (Hoi An, Vietnam) / jmhullot

Hoi Quan Phuc Kien (Hoi An) / dalbera

Old Town, Hoi An / namho

Hoi An, riverside houses / Arian Zwegers

hoi an / Dave_B_
- 名称 / 英語名
- 古都ホイアン / Hoi An Ancient Town
- 種別
- 文化遺産
- 登録基準
-
(2) ある期間を通じてまたはある文化圏において建築、技術、記念碑的芸術、都市計画、景観デザインの発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの。
(5) ある文化(または複数の文化)を代表する伝統的集落、あるいは陸上ないし海上利用の際立った例。もしくは特に不可逆的な変化の中で存続が危ぶまれている人と環境の関わりあいの際立った例。
登録基準とは - 登録年
- 1999年
- 公式オフィシャル・サイト
- ユネスコ / UNESCO 公式サイト内の Hoi An Ancient Town ページ
古都ホイアンの詳細地図
緯度:15.88 経度:108.33
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