リラ修道院はリラの聖ヨハネ修道院、またはリラの僧院とも言われ、ブルガリアで最も有名な正教会(ブルガリア正教会)の修道院です。リラ山脈の北西にあり、ブルガリアの首都ソフィアから約120キロメートルの距離に位置しています。
10世紀前半に創設されたリラ修道院は、ブルガリアで最重要文化・歴史遺跡で、建築学的にも非常に重要な遺跡の一つです。1983年にユネスコの世界遺産に登録されました。
ブルガリア国民の文化的・精神的中心としてのリラ修道院
リラ修道院は、当初、修道士のイワン・リルスキーが隠遁の場所として選んだリラ山中の洞窟近くにあったと考えられています。
以来、ブルガリアの統治者から大事にされ、オスマン征服まで続いた第二次ブルガリア帝国のほぼ全てのツァールによって大規模な寄付が行われました。
リラ修道院は、長らくブルガリア国民の文化的・精神的中心にあったと言われるほどの歴史的な場所です。
18世紀~19世紀の民族復興期の時代には、リラ修道院はブルガリア各地に約50か所の付属修道場を開設し、そこに修道士を派遣しで学校を開設させたり、修道院への巡礼者を集めたりしました。
1961年にリラ修道院はリラ修道院国立博物館に指定され、1976年に国立歴史保護区に、そして1983年にはユネスコの世界文化遺産リストに登録されました。
1991年にブルガリア政府がリラ修道院国立博物館を閉鎖した事から、リラ修道院は純粋な修道院へと戻っています。
現在のリラ修道院の姿は、概ね19世紀に完成したものですが、修道院で最も古い建造物は14世紀(1335年)に建築されたフレリョの塔です。
高さ24メートルの塔の最上階の5階には、主の変容礼拝堂があります。フレリョの塔は夏期のみ公開されています。
修道院には300の部屋があり、その内100が修道士の居住部屋となっています。1834年~1837年にかけて、それまで古い教会堂があった場所に、現在の生神女誕生教会が建設されました。
教会堂は5廊式の十字ドーム型で、両側に2つの礼拝堂があり、合計3つの祭壇があります。当時を代表するバンスコやサモコフの芸術家による木彫刻のイコノスタス(イコノスタシス)や壁画があります。
修道院経済部には、水車小屋、かまど、修道院の経済活動(林業、商業、農業他)で使用した工具や品物が保存されています。北棟の1階には修道院の台所があり、円錐形の大きな煙突や修道院のお祭り用の食事を作った大釜などが残されています。
北棟にある民族誌学博物館と民族復興期の客室には、織物、各地の伝統的な民族衣装、巡礼者が寄進した伝統的な容器類などが展示されています。

Rila Monastery / cyberborean

Rila Monastery / macchi

Rila Monastery / macchi

rila monastery / beccapie
- 名称 / 英語名
- リラ修道院 / Rila Monastery
- 種別
- 文化遺産
- 登録基準
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(6) 顕著で普遍的な意義を有する出来事、現存する伝統、思想、信仰または芸術的、文学的作品と、直接にまたは明白に関連するもの(この基準は他の基準と組み合わせて用いるのが望ましいと世界遺産委員会は考えている)。
登録基準とは - 登録年
- 1983年
- 公式サイト
- ユネスコ / UNESCO 公式サイト内の Rila Monastery ページ