アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所の解説・紹介
アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所は、ドイツが第二次世界大戦中に人種差別的な抑圧政策により、最大級の惨劇が生まれたとされる強制収容所です。
アウシュヴィッツ第一強制収容所は、ドイツ占領地のポーランド南部オシフィエンチム市(ドイツ語でアウシュヴィッツ)にあります。
アウシュヴィッツ第二強制収容所は、隣接するブジェジンカ村(ドイツ語でビルケナウ)に作られました。
周辺には同様の施設が多数、作られましたが、一部現存する施設は「ポーランド国立オシフィエンチム博物館」が管理・公開しています。
アウシュヴィッツ第一強制収容所(基幹収容所)
アウシュヴィッツ第一強制収容所(基幹収容所)には、ソ連兵捕虜、ドイツ人犯罪者や同性愛者、ポーランド人政治犯らが、平均して13,000~16,000人、多いときで20,000人が収容されていました。
10号棟には人体実験が行われたとされる実験施設、11号棟には逃亡者や収容所内でのレジスタンス活動を行った者に対して銃殺刑を執行するための「死の壁」がありました。
また、アウシュヴィッツ最初のガス室とされる施設が作られましたが、後に強制収容所管理のための施設となりました。戦後、ガス室として復元され、一般に公開されています。
アウシュヴィッツ第二強制収容所ビルケナウ
アウシュヴィッツ第二強制収容所ビルケナウは、被収容者増を補うため、1941年10月に開所。総面積は東京ドーム約37個分にも相当する1.75平方キロメートル。
ピーク時の1944年には90,000人が収容されました。そのほとんどがユダヤ人でした。
アウシュヴィッツ第二強制収容所ビルケナウは300以上の施設から成り、映画や書籍などで、アウシュヴィッツの象徴として写真掲載されている「強制収容所内まで延びる鉄道引込み線」は、1944年5月に完成しています。
被収容者から猟奪した品々を一時保管する倉庫、人体実験の施設でもあったとされる病院、防疫施設、防火用の貯水槽とされるプールなどがありました。
ガス室は、農家を改造したものが2棟と複合施設(クレマトリウム)が4棟の計6棟があったとされますが、後に被収容者の反乱や撤退時の破壊により原型をとどめていません。
収容施設は、家族向けの監房、労働者向けの監房、女性専用の監房などに分けられており、1943年以降に建てられた南側の収容施設(全体の3分の1程度の棟数)は、湿地の上に満足な基礎工事もなく建てられており、特に粗末なつくりであったと伝えられている。ここには主に女性が収容された。
ユネスコの世界遺産委員会は、二度と同じような過ちが起こらないようにと、1979年に世界遺産リストに登録。
日本ではいわゆる「負の世界遺産」と言われているものの一つです。負の世界遺産とは、世界遺産のうち人類が犯した悲惨な出来事を伝え、そうした悲劇を二度と起こさないための戒めとなる物件を指しますが、あくまで日本国内で使われている言葉で、ユネスコの公式な分類ではりません。
アウシュヴィッツへは、世界各地の要人が公式・非公式にかかわらず訪問しています。
1979年にはポーランド出身のローマ教皇ヨハネ・パウロ2世、2006年5月28日にはベネディクト16世も訪問しています。
また、年間を通じてイスラエル人学生の修学旅行のルートになっています。
最近は、日本からの訪問も増えており、多くても200人程度だった年間訪問者は、近年は5,000人を超えています。
- 名称 / 英語名
- アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所 / Auschwitz Birkenau German Nazi Concentration and Extermination Camp (1940-1945)
- 種別
- 文化遺
- 登録基準
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(6) 顕著で普遍的な意義を有する出来事、現存する伝統、思想、信仰または芸術的、文学的作品と、直接にまたは明白に関連するもの(この基準は他の基準と組み合わせて用いるのが望ましいと世界遺産委員会は考えている)。
登録基準とは - 登録年
- 1979年
- 公式オフィシャル・サイト
- ユネスコ / UNESCO 公式サイト内の Auschwitz Birkenau ページ

Auschwitz-Birkenau Railroad / milan.boers

4. Auschwitz & Birkenau / Steve Hunt Photo

Auschwitz-Birkenau / milan.boers

Auschwitz-Birkenau Gas Chamber / milan.boers

Auschwitz-Birkenau / milan.boers

Auschwitz-Birkenau / PolandMFA