デルベントのシタデル(城塞)、古代城壁、要塞建築物群 / Citadel, Ancient City and Fortress Buildings of Derbent

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デルベントのシタデル、古代都市、要塞建築物群の解説・紹介

デルベントは、ロシアのダゲスタン共和国の首都マハチカラ南東にある古代都市です。ロシア最南端の都市であり、またロシア最古の都市です。

もともと、イラン高原からメソポタミアまでの広大な領土を支配したササン朝ペルシア(226~651年)が、カスピ海沿岸地方の防衛拠点として483年に建設した城塞都市です。

当時のササン朝ペルシアは、ローマ帝国との抗争で疲弊したパルティアを滅ぼして勢力を伸ばし、西方ではローマ帝国や東ローマ(ビザンチン)帝国と、東方ではトルコ系遊牧民の突厥(とっけつ)などと激しい勢力争いを繰り広げていました。

カワード1世の子供であるホスロー1世の時代に、東の防衛の要としてカスピ海からコーカサス山脈にかけて二重の城壁を造り、その城壁の間に町が建設されて難攻不落を誇っていました。アルメニア人の7世紀の歴史家であるモヴセス・カガンカトヴァツィ(Movses Kaghankatvatsi)の年代記にも、驚嘆の言葉で記されています。

ちなみに「デルベント」という都市名は、ペルシャ語の「閉じられた門」に由来します。サーサーン朝の皇帝カワード1世によって統治された時代、5世紀末~6世紀初頭に使用されるようになったと言われています。

5世紀から6世紀の間には、デルベントは、カフカス地方におけるキリスト教布教の拠点となりました。

627年から629年の第三次ペルソ・テュルク戦争(サーサーン朝と西突厥の間で起きた戦争)時には、西突厥の支配下に置かれ、その後、ペルシャによって再度、統治されます。

654年には、アラブ人勢力の支配下に置かれ、デルベントは東カフカス地方の行政の中心となり、イスラームが浸透しました。

デルベントはシルク・ロードの北へつながる支線の出発地点となり、後にはアラブ人とハザールの間で、争われることとなりました。

また、アッバース朝の第8代カリフであるハールーン・アッ=ラシードがデルベントに居住したこともあり、デルベントは芸術と商業の中心となりました。

アラブ人の歴史家によると、9世紀にはカフカス地方では最大の5万人の人口を誇る都市になったと記されています。

カリフ制度が崩壊すると、デルベントはイスラームの首長国となり、1239年のモンゴル帝国による侵攻まで繁栄しました。

14世紀になると、デルベントはティムールに征服され、1437年にはペルシャのシルヴァンシャー朝の支配下に入ります。

16世紀にはサファヴィー朝とオスマン帝国との間の戦場となり、アッバース1世の時代には、トルコ軍に大きな打撃を与えたことで、デルベントはサファヴィー朝の支配下に入ります。

1722年には、ロシア帝国とペルシャの間で第1次ロシア・ペルシャ戦争が起こり、デルベントはロシア帝国の支配下に入りましたが、1736年には、再びペルシャの支配下に入ります。

1747年にデルベント藩王国が創設され、首都となります。第2次ロシア・ペルシャ戦争時、デルベントは、ヴァレリアン・ツボフが指揮するロシア軍の砲撃を受け、結果、1813年のグリスタン条約により、ロシア帝国に所属することになりました。

今日、デルベントに残る城壁と監視塔の多くが、こうした歴史経緯を持つ都市の当時の姿を残しています。6世紀から残る二重の城壁の長さは約40キロメートルに及び300から400メートルの距離を置いて平行に走っています。

なお、世界遺産に登録されたのは城壁に囲まれた約45,000平方メートルの範囲。6世紀に建設されたキリスト教のバジリカ、8世紀に建設されたモスク、15世紀に建設されたマドラサ、19世紀に建設されたアルメニア正教の教会があります。

このように、歴史的に見て地理的に西欧とイスラム圏が衝突していた場所で、言語も文化もイスラム圏の影響を受けています。

現在、デルベントに残る城壁と監視塔が当時の姿を残しています。6世紀から残る二重の城壁は、300から400メートルの距離を置いて平行に走っており、その長さは約40キロメートルにも及びます。

2003年に城壁に囲まれた約45,000平方メートルの範囲が世界遺産に登録されました。6世紀に建設されたキリスト教のバジリカ、8世紀に建設されたモスク、15世紀に建設されたマドラサ、19世紀に建設されたアルメニア正教の教会があります。

dagestan: naryn-kala
dagestan: naryn-kala / Bolshakov
名称 / 英語名
デルベントのシタデル、古代都市、要塞建築物群 / Citadel, Ancient City and Fortress Buildings of Derbent
種別
文化遺産
登録基準
(3) 現存するまたは消滅した文化的伝統または文明の、唯一のまたは少なくとも稀な証拠。
(4) 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。
登録基準とは
登録年
2003年
公式オフィシャル・サイト
ユネスコ / UNESCO 公式サイト内の Citadel, Ancient City and Fortress Buildings of Derbent ページ
Citadel wall
Citadel wall / Ghirlandajo
Citadel wall
Citadel wall in winter / Ghirlandajo
dagestan: museum
dagestan: museum / Bolshakov
rugs by shuraev
rugs by shuraev / Bolshakov

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