モスクワの北西約620km、バルト海に面したサンクト・ペテルブルクは、もともとピヨトール大帝(在位1682?1725年)が西欧文化を取り入れて築かれた人工的な計画都市です。
サンクトペテルブルク歴史地区と関連建造物群の解説・紹介
サンクトペテルブルクは、1712年から約200年もの間、ロシア帝政時代の首都でした。現在でもロシア第2の都市です。
ピヨトール大帝による都市建設後も、ロシア帝国の歴代皇帝により整備が行われ、1725年に科学アカデミー、1754年には王宮として冬宮が完成。ネフスキー大通りが整備され、冬宮を中心とした放射状の街並みが作られていきました。
1757年には演劇アカデミーが創設され、エカチェリーナ2世時代の1762年には冬宮の一角にエルミタージュ美術館の元となる展示室が開設。1819年にはサンクトペテルブルク大学が創設されています。
19世紀末には聖イサアク大聖堂や血の上の救世主教会など、現在でもサンクトペテルブルクの名所となっている建築物が相次いで建設されています。
現在もサンクトペテルブルクは、多くの運河や橋があり「北のヴェネツィア」とも呼ばれている美しい街です。そして、エルミタージュ美術館(ピョートル大帝の華麗な冬の宮殿がエルミタージュ美術館の本館となっています)、ソビエト政権が独立宣言を行った場所としても知られるスモーリヌイ修道院、あるいはピョートル大帝がエカテリーナ妃のために建てた夏の宮殿(ペテルゴフ宮殿/エカテリーナ宮殿)などなど、数多くの歴史的建築物が街の中心部および郊外に残されています。
世界遺産には、こうした代表的な建築物が、実に36件に包括登録されています。これらの歴史的建築物は、バロック様式・新古典主義にロシア文化が融合したものと特徴づけられています。
なお、サンクトペテルブルクという都市の名前は、キリスト教の聖者ペテロに因んでつけられたものです。第一次世界大戦開戦以降はペトログラード、ロシア革命後のソ連時代(1924?1991年)はレニングラードと呼び名が変わりましたが、ソ連崩壊後の1991年に旧名のサンクト・ペテルブルクに戻っています。

Saint Petersburg 32 / Alexxx1979

Saint Petersburg / ahmadzamri

Saint Petersburg / ahmadzamri

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Saint-Pétersbourg – Église Notre-Dame de Vladimir – 15-02-2009 – 23h41 / Panoramas
- 名称 / 英語名
- サンクトペテルブルク歴史地区と関連建造物群 / Historic Centre of Saint Petersburg and Related Groups of Monuments
- 種別
- 文化遺産
- 登録基準
- (1) 人類の創造的才能を表現する傑作。
(2) ある期間を通じてまたはある文化圏において建築、技術、記念碑的芸術、都市計画、景観デザインの発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの。
(4) 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。
(6) 顕著で普遍的な意義を有する出来事、現存する伝統、思想、信仰または芸術的、文学的作品と、直接にまたは明白に関連するもの(この基準は他の基準と組み合わせて用いるのが望ましいと世界遺産委員会は考えている)。 - 登録基準について
- 登録年
- 1990年
- 公式オフィシャル・サイト
- ユネスコ / UNESCO 公式サイト内の Historic Centre of Saint Petersburg and Related Groups of Monuments ページ